カチューシャ


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 尊敬する人は? と聞かれると、私は一応“原 敬”と答えることにしている。実のところあまり詳しくは知らないので本人には大変失礼なのだが、郷土の大先輩で教科書に出ている人は“平民宰相”と呼ばれた原ぐらいしかいない。そんなわけで原にさせてもらっている。

 私の前に座っているA君にその話をすると、

「知ってます! 知ってます! ガチョ〜〜ンの人ですよね!」と嬉しそうに言う。

(それは 谷 啓 だ…)


 A君とはそういう男である。

 まだ入社間もない女性社員に、突然「私のカチューシャ知りませんか?」と聞かれた。私は「知らない」っと即座に答えたつもりだし、動揺を気づかれなかった自信はある。

 白状するが、私はその子のカチューシャがどこにあるのか「知らない」のではなく、カチューシャがなんなのか「知らない」のであった。もちろんそれに気づかれるようなヘマはしていない。

 確かに聞き覚えはある。小学校の音楽の時間に、ロシア民謡かなんかの歌の歌詞として出てきたような記憶がある。しかしそのときは、それがなんなのかなど気にもしなかった。そしてそれ以降、30をやっと越えたばかりの私の人生ではあるが、カチューシャという言葉を二度と耳にすることはなかった。それが突然、あたりまえの日常のなかに、ほんのわずかな違和感すら感じさせることなく、現れた。しかも個人の所有格に修飾されて、だ。

  カチューシャというのは、“私の”で修飾されるような、そういう一般的な日本人が普通に持ち歩くようなものだったのか? 


 ナ ン ダ ソ レ ハ ???


 あのとき、もし「カチューシャって知ってますか?」と聞かれていたなら、私は素直に
「知らない」と言えたと思う。しかし、色の白いその子(色は白いが鈴木その子ではない)の「私のカチューシャ知りませんか?」という自然な問いかけは、私がカチューシャを知らないかもしれないなどとは露ほども疑っていない真っ直ぐな心から発せられていた。その子の一片の疑念すら見られない澄んだ瞳に見つめられた私は、

  「カチューシャってなぁに?」


などとバカづらさげて聞くことはできなかったのである。 

 告白しよう。私は恐れたのだ。私がカチューシャを知らないと言ったとたんに、その子の頭の中で、
 
  カチューシャを知らない = オヤジ


という方程式が成り立ってしまうのではないか、と。私はラクダのシャツなど持ってすら
いないのに、「きっとラクダのシャツを着ているに違いない」と噂されてしまうのではないか、と。

 もともと無理はあった。ひと昔分の年齢差があるその子とは、常識の空間にずれがあるのが当然である。同世代と思ってもらえることは絶対にないと分かっていながら、“でもオヤジ扱いはされたくない”というささやかな抵抗をしていたのだ。LArcやGLAYの新曲がでると、カラオケでカクレン(隠れて練習すること)までしてなんとか維持してきたつもりの「若作り」が、カチューシャによって砂の城のごとく崩れてしまうことを、確かに恐れていた。

 それがなんであれ、それを知らないことなどでは揺るぐことのない自分が確立されていれば、カチューシャなど恐くはない。確固たる基盤が自分の中にあれば、あたりまえに「知らない」と言い切れる。その自信が自惚れでないのなら、実際オヤジとは言われないだろうし、「さすがに大人だ」と逆に評価されるだろう。穣かな実りさえあれば、穏やかに頭を垂れることができたのだ。私には素直に知らないと言える余裕がなかった。同世代のフリをしても無理がある、という自覚があるからこその、オヤジだと思われはしないかという不安が、「カチューシャって何?」と私に言わせることを躊躇させた。

 反省は美徳である。人間は反省を繰り返すことで、永遠に成長し続ける生き物だ。素直な心に戻った私は、目の前に座っているA君に尋ねた。「カチューシャって、知ってる?」

 その瞬間嫌な予感がした。“原 敬”を“谷 啓”で返すような男だった。
1.5秒ほど
して彼の顔に喜色が溢れ出すのを見て、私は全てを諦めた。

  
「知ってます! 知ってます! 」

と嬉しそうに、彼は10年以上も前に流行ったテレビネタを始めやがった。


 (そ れ は  カトーチャ だろ…)

 

 精一杯ゲンナリさせた私の顔に気づこうともせず、その後数分間彼は楽しそうにカトチャンネタを続けた。私の頭の中はカチューシャでいっぱいだというのに。



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